東山動植物園 象 ゾウ

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投稿者:dbmdc500さん

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東山動植物園(ひがしやまどうしょくぶつえん)は、愛知県名古屋市千種区の東山総合公園内にある市営動植物園。1937年(昭和12年)に開園した。1968年(昭和43年)に動物園と植物園の入場券が共通となる。日本国内での年間入場者数は上野動物園、北海道の旭山動物園に次ぐ3位。過去には2位だったこともあった。名古屋市は松原武久市長時代に「東山動植物園再生プラン」を策定するが、河村たかし市長はこのプランの撤回を表明している。動物園1890年(明治23年)に、動物商の今泉七五郎により公開された「浪越教育動物園」を起源としている。市立動物園としては今泉から譲渡された動物を元として、鶴舞公園において1918年(大正7年)に「名古屋市立鶴舞公園付属動物園」として開園したものが始まりである。手狭になったため、当時新設された東山公園へと昭和12年1月に移転し東山動物園に改名。開園当初は「東洋一の動物園」とも呼ばれていた。第二次大戦前には、ゾウ・キリン・ライオン・トラなど700種1200点という動物数を誇る大動物園となる。戦中、上野動物園や天王寺動物園と同様、空襲によって暴れだしたら問題だということで多くの動物が殺されたり(戦時猛獣処分)、餌不足により餓死するなどし、終戦まで生き延びたのは5種26点(ゾウ2頭、チンパンジー1頭、カンムリヅル2羽、カモ20羽、白鳥1羽)だけであった。しかし北王英一園長などの努力があり、日本国内では唯一ここの2頭のゾウだけが終戦時まで生き延びたため[4]、戦後になるとゾウを見ようと全国から小中学生団体が詰め掛けた(象列車の項目も参照)。戦後には動物の数も回復。昭和20年代後半から40年代前半まではゾウやゴリラによる動物ショウなどが人気を博したが、世相の変化もあって、単なるレクリエーションではない、教育・研究・繁殖などにも重きを置いた動物園へと徐々に転換した。1984年(昭和59年)には、日本で初めてコアラが来日し、コアラ舎には連日の行列ができた[5]。また、外国の動物園とも姉妹動物園になる。[編集] 植物園動物園の開園に先立ち、1937年(昭和12年)3月3日に開園した。植物園内の大温室の前館は開園当時のもので、現存する温室では日本最古である。当時は「東洋一の水晶宮」と呼ばれた。2006年(平成18年)12月には重要文化財となる。また、前館内には開園当時に植えられたヤシなど十数種が現存している。植物園全体は自然林を生かす形で整備されており、未舗装路も含めて縦横に散策路が走る。梅園、桜の園、椿園、花畑などに加えて、尾張藩の聞人として名高い横井也有にちなんだ也有園など複数の庭園があり、奥池のほとりには1956年(昭和31年)に白川郷から合掌造りが移築され内部が公開されているほか、日本庭園の傍には1971年(昭和43年)に見つかった東山古窯跡群の窖窯跡が残る。1996年(平成8年)には「東山植物園の野鳥」が日本の音風景100選に選ばれた。また、植物園ではあるが、子供たちが動物と直に触れ合える「小鳥とリスの森」や「こども動物園」が一角に置かれており、人気遊具としてローラー式すべり台「樹快ダー」(全長約200m、高低差約28m)も設置されている。

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